大学で美術を専攻したのは、幼い頃に触れた親戚の染物工場での体験だったそうです。その影響で小・中学校では絵を描くことが好きになり、自由な発想の色彩感覚も覚えたようです。師に恵まれ、指導を受けながら創作していた日々。自分が教師となり、教え子にも恵まれ、今でも交流が続くほど、人との出会いを大切にしている太田さんです。
その後、19年携わった教師を辞め、静岡県出版文化会に転職し、教材を作る仕事をしながら、自由に絵を描く時間を得ることを選びました。さらに、すべての職を退いた後は、自宅近くにギャラリーを設立し、アトリエをもちました。今後は、まず、画集「太田昭の富士山の絵」を発行することが目標であり、「アトリエの天井、床、壁を富士山の絵で埋め尽くすことが夢」と語ります。
染織家の大野純子さんは、熱海市の網代湾を望む高台に工房を構え、草木の採取、糸の染色、さらに機に向かうなど、すべてをひとりで行う染織家です。自然な色調を生かした、洗練されたデザインの紬は、「自分が着てみたいデザインや色調が多くなります」という説明通り、現代感覚の配色でモダンな印象が魅力的です。日本各地には伝統的な織物がありますが、創作紬は作者の感性を表現した独創的な作風が特徴。無地感覚でありながら、微妙な色調の変化で表現する縞や格子などもオリジナリティあふれる作風です。今回は二重の布の表裏を入れ替えることで織り紋様を表す風通織の作品も発表します。高度な技法で織り上げた美しくモダンなきものです。
染織に関わるようになったのは、都内でOLとして働いていた時でした。「手仕事が好きで織物がしてみたい」という願いを叶えるために紹介されたのが、東京都八王子市の織物工房が主催していた織物教室でした。そこで中山壽次郎さんに師事。「機織りをするなら、本格的に学び、きものを織りたい」と、自身が強く望み、仕事をしながら教室に通い、様々な技法を学びました。手仕事が好きだったこともあり、機を買い、家で織ることを始め、様々な公募展に出品します。その後、織物に専念するために静岡県に移り住むことになり、現在の生活が始まりました。四季折々の自然の変化を身近に感じる環境は、織物作家にとっては理想的です。「色は思い通りにはいかない」と語る大野さん。その色を生かして織り上げた無地紬など、おしゃれ着としての紬の存在を高める作品も紹介します。
紬織着物 ノクターン(平織、経緯絣、染料/山櫨、臭木、小鮒草)